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曽野綾子名言集(孤独でも生きる)

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曽野綾子名言集(孤独でも生きる)

どれほどの人間関係を築こうと、
どれほどの財宝に恵まれようと、
人は死ぬときは身ひとつであの世
へ旅立ちます。

それを虚しいとみるか、
潔いと考えるか。

それはこれからの生き方、
そして覚悟にかかってくるの
かもしれません。

曽野綾子さんの著書、
『孤独でも生きられる』から
名言をご紹介していきます。

~曽野綾子 名言~

何がなくちゃだめだ、とか、
誰がいなくちゃいけない、
なんて思うのは、間違い
なのよね。
何がなくても、
誰がいなくても、
人間は何とかやって行く
んだから。

「極北の光」


 

自分流に不器用に
生きることである。
自分流でなく、他人流に
生きようとする人が多すぎる
からストレスが起きる。

「社長の顔が見たい」


嫌われたら
嫌われていればいいのだ。

「夢に殉ず」


人間は一人一人、
誰とも比べる必要が
ないのだ。

「近ごろ好きな言葉」


自分にとっていい生き方
というのは、けっして
他人と同じに生きること
ではないのです。

「悪と不純の楽しさ」


もっと小さなことを喜び、
世間がではなく、自分が
喜べることを喜べばいい。
ということも、私は人生の
比較的早い時期に知った。

「悲しくて明るい場所」


自分の責任でないことは
別に謝る必要はない
のである。

「二十一世紀への手紙」


皆が平等に、いっしょに、
という発想は不可能なことだ、
と私は思っている。
人間にはお互いに馴染めない
生き方や考え方をする人と
いうものがある。
しかしだからといって相手が
邪魔なのではない。お互いに
侵さず侵されず、相手の生活
をきっちりと幸福に守らな
ければならない。

「聖書の中の友情論」


人は世間の風潮がどうあろう
と、自分の信念に従って
生きる時、輝いて見える。

「狸の幸福」


頼まれたら断れない、
という神経も私には
昔からなかった。
これはあるべき感覚が
欠損しているのかもしれない
が、私はどんな相手でも
筋が通らなければ断れる。
悪く思われても仕方がない、
と初めから思っているのだ。

「自分の顔、相手の顔」

私はいろいろなことを
諦めたが、中でも割と早く
から、人に正当に理解される
ことを諦めたのである。

「二十一世紀への手紙」


人間は多勢といればいるほど
孤独を噛みしめる筈のもので
従って、孤独は人間の存在
それじたいとシャム双生児
のような関係にあるのだ
という。

「テニス・コート」


悪い状態、ひどい評判から
出発することは幸運だとさえ
言える。それより落ちること
がないからだ。

「部族虐殺」


人の考えを憶測したりする
のは無礼というものだ。

「神様、それをお望みですか」


嘆いてみたところで、不運が
去ってくれるわけでもない。
暗い顔をしていきてるのも
人生なら、明るく生きるのも
同じ人生だ。

「アレキサンドリア」


どんな悲しみの中でも、
私たちには必ず喜びが
用意されています。

「聖書の中の友情論」


苦しみもまた、一つの恵み
だ、という言葉は真実なの
だが、これほど口にでき
にくい
ものもない。
他人が苦しんで
いる時に、
はたでこう言ったら
これ
ほど同情のないものはない

し、自分がくるしんでいる
側で
他人にそう言われたら
腹が立つ
に決まっている。

「私を変えた聖書の言葉」


人は耐えられる限度を越える
と、その瞬間、高圧電流が
流れるように、価値観が
まったく変わることがある
そうだ。その時、もう自分の
生涯を捨てることくらい
何でもなくなる。
私にはその気持ちもよく
わかる。

「近ごろ好きな言葉」

どのような時間が
「楽しい時」かそれは人に
よって違うだろう。
違っていいのだし、違うべき
なのだが、人は勇気を持って
自分だけの「楽しい時」を
持つべきなのである。

「悲しくて明るい場所」


人は自己の生き方を
選ぶべきなのである。

「二十一世紀への手紙」


限りなく一人ずつ大切な
個性があり、多少右往左往
することはあっても、誰もが
その人らしく輝き得る。

「ほんとうの話」

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