名言・格言・言葉の宝石箱

昨日を越え、明日を掴み、今日を生きるあなたへ

橋田壽賀子の名言集

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橋田壽賀子の名言集

私は安楽死で逝きたい。


これからは自分で死を選べる時代にならないと、みんなに迷惑かけるし、自分もつらい。


だんだん体重が減ってきて、74キロあったのが、今58キロなんですけど、だあーと減った時、毎日年取ってくるんだなって、すごい実感があったんですね。


いつ、何が明日あるか分かんないし、その時に、もしその顔のまんま、このまんま動けなくなったとしたら、このベッドにくくりつけたまま、ずっと生きてるのかなと思うとぞっとしましたね。


終末医療がどんどん完備されても、それで生かされて、どれだけ幸せなのかな。線引きが難しいですよね。もう私は年寄りだし、することもありませんし、天涯孤独ですし、死なせてくださいって言ったら、ああ、いいよって言ってくださる法律があったら、それは安楽死だなと思ったんですね。


前はもっとお仕事が来たんですよ。欲張りなんですね。もうなんか、いっぱいいつもいつもお仕事が来て、断るのが楽しいなみたいな、それがふーっとなくなって、誰も来なくなったという、そのさみしさはありましたね。あ、もう私はいらない人間になったんだって、世の中から。いらない人間になったんだという。そしたら、何のために生きてるの。ただ、病気になったら、国家のお金をいっぱい使って、何の役にも立たないのに、ごはんを食べて、楽しくもないのに生きてるのは、嫌だなと思いました。


九十歳になって、仕事がだんだん減ってきて、ほかに考えることもなくなったら、「あ、もうすぐ死ぬんだ」と考えるようになりました。あとはもう、他人に面倒をかけたくないだけ。迷惑をかけるなら、そうなる前に死なせてもらいたい。死に方とその時期の選択くらい、自分でできないかなと思うのです。


絶対人には迷惑かけたくないというのは、私一人っ子で、ずっとなんでも1人でやってきたんですね。親が、親の愛情が重たくて、それで家出して、1人で女子大へ行っちゃって、親に勘当されたりしたんですけど。とにかく1人で生きてきて、1人で生きるということが身についちゃったというか、それがいいことだと思ったんですね。だから、親にも迷惑かけたくない。とにかく、なんか人に負担をかけたくない。それが、もう私の性格ですね、それは。


私なんか父親が引き揚げ者だし、家は焼かれて、母はよそに居候しているし、もう1人で生きるよりしようがないんですよね。そういう、何とか自分であがいても、1人で自分で生きていくというあれがあったんで、迷惑かけるというのは罪悪だと思っちゃうんですね。


私は心配する人がいない、天涯孤独ですから。だから心配される人もいない。親戚がいない、親はいない、兄弟いない、亭主もいないし、子どももいない。本当に、例えば死ぬでしょう。財産の行くところがないんですよ。遠い親戚はあるかもしれないけど、縁を切っていますし、それを天涯孤独というんじゃないですか。


安楽死に登録して、いつでも安楽死できると思ったら、いつか平穏死になったっていうのはとてもいいことだな、一種の理想ですよね、それが。心の、なんか保険みたいなもんですね、安楽死っていうのは。


分が死を選べない不安で生きてるってのも年取ったらすごい重いですよ。


いつか死ぬんだから、今、精いっぱい生きなきゃというのはありますよね。死をいつも見つめるということは、それはやっぱり死を考えているから、今を精いっぱい生きるってことですね。私が戦争中そうでしたから。死の覚悟ができて、それでやっとそれを踏み台にして生きてきたみたいなところがありますから。いつ死ぬか分からない、明日死ぬかも分からない、やっぱり精いっぱい、後悔ないように生きたいというのがあります。


どん底がなかったら上の楽しさも幸せも分からなかっただろうし、どん底があったから幸せも分かるし。皆さん生きてるってことは、やっぱりすばらしいことなんですよ。選ばれて、この世に生まれてきたんだから、精いっぱい後悔ないように生きるという努力はしてほしいと思いますね。私はしてきましたよ、威張るわけじゃないけど。だから、もう本当に幸せでした。今を捨てないで、今の時間を捨てないで、諦めないでできるってことが生きるってことじゃないですかね。


90の声を聞いた時にけがをしました。病院の前で目まいがして転んでしまって。貧血だったんです。これはもう身辺整理しないといけないと思って終活を始めました。最初に、溜め込んでいたモノの整理です。


人間には、40歳になって見えること、60歳でわかること、そして80歳でようやく悟ることがあります。


不遇な時期っていうのは、何かを貯める時なのね。暇な時期をどう過ごしたかで人生が決まる。干されているからって、憂鬱になったり、何にもしないのはもったいないですよ。


テレビというのは、一番メッセージが届く媒体なんですよ。それで私が言うことがあるとすれば、デジタルとか機械にお金をかけるのもいいけれど、それと同じくらい、人間を育てることにもお金と労力をかけないと、テレビはだんだん衰退すると思うんですよ。


介護は、いかに子どもに重いものかということを書きたかったんです。結婚さえもあきらめて親を取る、こういう世の中はどうなんでしょうか、もっと社会でそういう人を助ける施設があれば、その女の子を助けてあげることが出来るじゃないですか。女の子がお嫁にも行かずに背負うことじゃないんです。

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